記事タイトル:2009年OB会掲示板   


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お名前: OB会長 椛沢均   
一OBさん いつも書き込みありがとうございます。
「熱球の軌跡」一般の方への配布についてはまだ何も決まっておりませんが、私までメールを
お送りください。
この掲示板の私の名前をクリックすればメールを送信できるようになっておりますので、是
非ご連絡ください。

他にも何人かの一般希望者の方からご連絡いただいておりますが、ホームページの事務局宛や
OB会長宛のメール送信機能の場合、メールアドレスを記入していただかないとこちらから連
絡できませんのでご注意ください。
[2009年2月8日 17時58分17秒]

お名前: OB会長 椛沢均   
中央高校硬式野球部45年誌「熱球の軌跡」にこれまで寄稿いただいた方のリストを掲載します。
忙しい中、遙か昔の記憶をたどり思い出を寄稿して頂いた皆様方には心より感謝申し上げます。
(38期のみが空欄なのが残念です。)
尚、掲載にあたり敬称を略させていただくことをご容赦ください。


【歴代監督】	【顧問】	    【その他祝辞等】	
  渡辺一政     持田 章	  小笠原敬三(中央高校校長)
  今井輝次          中曽根史一	  小島則夫(中央高校同窓会長)
  本多 饒        内山  武	  福田昭満(甲子園出場時父母会長)
  飯塚建一          山口  聡 	  亀井猛斗(西武)
  松本  稔			  			
  高田  勉			  椛沢 均(OB会長)			
  平松敏郎			  高橋幸雄(記念誌実行委員長)	
  井田郁浩						

【各期寄稿者】
 1期	大塚弘幸   16期 青柳  潔	31期	高橋  圭
 2期	田中健治   17期 岩井  潔	32期	長崎輝彦
 3期	反町正仁   18期 深掘恒幸	33期	宮下 潤
 4期	荻野隆夫   19期 富沢将一	34期	南 幸博
 5期	岩見克一   20期 戸谷信男	35期	落合清貴
 6期	大塚和弘   21期 田村一紀	36期	塚越桂大
 7期	鳥羽親彦   22期 西山  学	37期	林 亮介
 8期	飯野 悟   23期 宮野入直彦	38期 
 9期	大塚候一   24期 塚越孝文	39期	武井優香
10期	今井一守   25期 吉川友人	40期	水尾安武
11期	石井 晶   26期 浦野英登	41期	唐澤麻里
12期	小池正晃   27期 齋藤哲也	42期	小倉裕紀
13期	室橋秀人   28期 西郷重康	43期	富澤彰紀
14期	正村泰博   29期 玉田昌弘	44期	田口裕之
15期	高柳和浩   30期 藤橋亮一		太田宗之祐
                                                       矢嶋駿

【通期概説】
  2期 高地康男  12期 長谷川雄一  30期 渡邊辰吾  34期 藤井暢尚
[2009年2月8日 17時39分36秒]

お名前: 一OB   
中央高野球部「最後の夏」の模様が認められた「ブログ」からの一節。
(問題あれば、削除願います。)
本当は、自分の目に焼きつかせて置いて「記述」できたら、と残念であります。


優勝候補の一角である前橋工業と中央高校の4回戦。
中央高校は45年の歴史を持つが、公立の中高一貫校として校名が変更になっている。
そのため、中央高校としては、この大会が最後の夏になる。

中央高校は、昭和の終わりごろ、非常に強い時期があった。
亀井という好投手がいて、西武にドラフトで指名されたことがあった。
また、昭和62年には夏の甲子園に出場。
エース小島を擁し、決勝で前工との延長戦を制して甲子園初出場を決めた。
当時の監督は、完全試合男の松本稔氏。
この時の一回戦の相手が、プロを多数輩出した立浪主将率いるPL学園。
このPLを相手に、終盤まで相手を苦しめ、あわやというゲームを繰り広げた。
優勝したPLの立浪が、後に1回戦が一番きつかったと言ったほどの大善戦であった。

それから20年以上の歳月が経った。

相手は、因縁の前工。
初出場を決めた時の相手だ。

本大会で、最強とも言われる前工打線。
この打線に中央投手陣がとこまで食い下がれるかに注目した。

先発はともにエースでなく2番手。

1回にお互い四球を機に1点を取りあったことで、ゲームが動くことが予想された。
しかし、その後は、予想に反して、投手戦になる。
前工打線が、中央の先発清水に凡打を繰り返す。
早打ちにも助けられたが、5回を3安打。
一方の中央も、相手の先発高橋の前に苦戦。
一番の田口がチャンスメイクをしていたが、いかんせん中軸が非力だった。
田口は前橋一中出身。前橋一中が全国大会に行ったときのメンバーの一人だろう。
この田口が前工相手に、臆せず立ち向かっていた。

中盤、この田口を3塁において、スクイズを決行するが、本塁でタッチアウト。
タイミングはセーフに見えたが、前工の捕手篠崎のブロックに得点を阻まれた。
この失敗が、後で効いてくることになる。

5回からは、ともに継投策。
前工はエースの加藤。中央は背番号4を背負った木村。
加藤は、大会でも注目されている投手だが、木村の投球には目を見張った。
球威があり、投手らしい投手に感じた。この投手が4番の背番号を背負っていたことを非常に、意外に感じた。

6回を終わって、1対1。
ともに3安打という予想外の試合展開だった。

試合が動いたのは7回。
中央が一死3塁のチャンスをつかむ。
下位打線につながったため、スクイズが予想されたが、ここで何の策も講じず三振。
中盤のスクイズ失敗が、ここで効いてきた。
ベンチサイドが一回失敗したスクイズを相当気にしたのだろう。
この回、結局、無得点に終わった。

このチャンスを生かせなかったことが、裏の前工の攻撃につながってしまう。
無死二塁で9番が送りバント。
これが、セーフティー気味だったため、2塁ランナーが反応できず、アウトカウントを増やしただけとなった。
前工側に嫌な流れを感じたが、トップの豊村が、ライト頭上を抜ける三塁打で均衡を破る。
続く2番の豊村(豊村は二人いる)が連打で3点目を追加。
ついに前工が突き放した。

8回に、中央は二死二三塁のチャンスをつくるも、中軸が凡退し、点差をつめられず。
最後まで中央は踏ん張ったが、前工の自力に結局、突き放されてしまった。

「熱球の軌跡」。発行が大変楽しみですが、一般者の購入方法を
 教えて頂けましたら幸甚です。
[2009年2月7日 10時44分10秒]

お名前: 一OB   
群馬県の高校勢力図が、塗り替えられようとしているのでしょうか。
たまたま、サイト上で見かけた一意見。「中央」の躍進が伺える内容でしたので
紹介させて頂きます。(野球とは関係無く、内容に問題あれば、削除願います。)

茨城県の「緑岡高校」は、他県ながら、設立年や、「理数科設置」が母校・中央と
似ていて、親近感を覚えていましたが。

『緑岡高の中高一貫校設置とりやめについて、新聞ではその理由として県の財政難や智
学館の開校等をあげていますが、それ以外の表に出ない理由として、水戸一高OBの間
に、母校凋落の危機感があったという説あります。 
群馬県の高崎高校が、校外模試で新設された中高一貫校の後塵を拝し、3番手以下に凋落
したことは、群馬県の教育界を驚かせていますが、名門高高が、まさか新設の公立中高
一貫校に学力で負けるとはだれも予想していなかったようです。このことはプライドの
高い水戸一高OBの危機感を醸成させたことでしょう。ライバルの土浦一高には、東大合
格者数ですでに大きく水を開けられており、そのうえ優秀層が青田刈りで緑岡に奪わ
れ、校外模試で3番手以下に落ちるなどということは、名門水戸一高OBのプライドにかけ
て、絶対に許されないでしょう。』

茨城県といえば、母校が甲子園出場時に、同じ校名の「茨城県立中央高校」の校長先生
が、お祝いのメッセージを寄せてくれていました。
[2009年2月1日 20時24分21秒]

お名前: 10期OB   
10期OBです。ご無沙汰しております。12期長谷川様の質問に一部回答します。
椛沢会長時代のユニフォームについては、昭和48年の大塚主将時より使用のものです。
それは、10期の大三番打者である今井一守選手が2年生の夏の大会(昭和48年7月14日
の対松井田戦)時、多分、中央高校では初めてであると思われる大会第一号のホームランを打
ちました。そのホームランについては大きな記事としてハイライト欄に大きく取り上げられて
います。その写真入りの新聞記事があります。その白黒写真の中にユニフォームが写っており、
帽子は白でマークは「C」、アンダーシャツは白、ストッキングは慶応スタイルとなっていま
す。記事の写しは手元にありますので連絡頂ければ手配します。45年誌楽しみにしています。
[2009年1月27日 20時55分41秒]

お名前: 長谷川 雄一(12期)   
 プレッシャーのかかる書き込み、ありがとうございます。おっしゃる通り、今、最後の追い込
みにかかっています。ちょっと困っていることがあるので、OBの皆さんにお願いがあります。
写真等の資料をかき集めているのですが、少々寂しいのが現状です。
なんでも結構ですから、お貸しいただけると助かります。特に、春・秋の関東大会の模様、上位進
出時(50年、56年、59年、60年、平成2年、4年 カラーならベスト!!)。それ以外で
ももちろんOK!!!。口絵となるものが欲しいんですよ、ホント。それと、これは切実なお願
いなのですが、1期から8期までの夏の大会ユニフォームの資料をどなたかお持ちでないでしょう
か?資料でなくとも、1期から何期まではこんなんだった、というのでもかまいません。2期の田
中さんから当時の新聞の切抜きをいただいており、白の帽子に胸にローマ字で『CHUO』、おそ
らくアンダーシャツがスクールカラーのスカイブルーだったのでは、ということまでは分かってい
ます。これは何年まで着用していたのか、その後どう変わって行ったのか分かる方、教えてくださ
い。また、以前どなたかこの欄に書かれていましたが、昭和50年に椛沢会長の下、ベスト4に進
出したときのユニフォームは、本当に48年の夏(大塚主将の時)からでよかったのでしょうか?
いずれにせよ、何でも結構です、資料をお持ちの方、御協力のほどよろしくお願いします。
[2009年1月25日 10時18分23秒]

お名前: OB会長 椛沢均   
昨年来からたびたび報告しておりますが、中央高校硬式野球部45年誌は関係各位の多大なる
ご協力により、完稿間際のところまできております。
ここまで1期大塚さんから最後の中央高校生となる44期田口君までの各期の代表者、歴代の
監督、部長の先生方、中央高校小笠原校長先生、小島同窓会長、甲子園出場時父母会長さん、
西武球団の亀井くんなど、本当に沢山の方々に寄稿いただいております。
30年前40年前の上毛新聞記事なども県立図書館で探し出して掲載する予定です。これは記
念誌実行委員の12期長谷川君や15期竹西君が頑張ってくれました。各期の代表者から寄せ
られた当時の写真やユニフォームの変遷なども掲載する予定です。
おそらく皆さんの想像を超えた素晴らしい記念誌が出来上がると思います。

OB全員に配布する予定ですので完成を楽しみにしていてください。
[2009年1月24日 21時36分6秒]

お名前: 一OB   
ベースボールマガジン社刊「にっぽんの高校野球」シリーズ「群馬・栃木・埼玉・山
梨」編。渋谷のとある書店の店頭に並んでいるのを目にし手にしたところ、
高校野球の「軌跡」に名を残す、関東の思い出球児の写真がズラリ373名。
その中で、我が中央の代表として「小島英司投手」の勇姿も。胸に「中央」の文字がく
っきりと、うなる快速球が今まさに飛び出さんばかりの図であります。

中央野球45年の球譜が「中央中等」へ。

がんばれ!中央野球!
[2009年1月21日 22時59分12秒]

お名前: 一OB   
中央高が生んだプロ棋士・三浦弘行八段。
「名人挑戦」を懸けて「第67期A級順位戦」で奮闘中。
同郷の兄弟子・藤井猛九段を倒し、3連勝も、その後の3連敗。
かつて、羽生七冠の一角を崩した棋士として話題を呼んだ三浦八段。
勝って、再度、「羽生善治名人への挑戦権」を手にして欲しいものです。

がんばれ!中央健児!
[2009年1月20日 23時32分8秒]

お名前: OB会長 椛沢均   
新年明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い申し上げます。

中央高校硬式野球部は昨年最後の夏の大会に出場し、激闘の末惜しくも前橋工業に敗れましたが、
有終の美を飾ってくれました。
中央高校硬式野球部の45年間の歴史と伝統は中央中等硬式野球部に引き継がれこの先も続くと
信じてやみません。

中央高校硬式野球部45年誌は「熱球の軌跡」としてこの3月までに発行する予定です。
この記念誌を無事発行することができれば、私のOB会長としての仕事も一区切りだと考えてい
ます。

厳しい経済状況を考慮し、今年は新年会を自粛することにいたしましたが、4月の定時総会は
「45年誌」発行を記念し盛大に行いたいと思っておりますので、何卒ご協力お願いいたします。
[2009年1月1日 1時1分1秒]

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